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ごっちゃんのひとりごと

ローカル好き国際系大学生の思ったこと体験したこと

集団の中の自分の在り方について考える

こんばんは、ごっちゃんです。

 

本日は、最近常々考えていた集団の中の自分の在り方について考えてみたいと思います。

 

過去に私は部活に所属し、生活を全て部活に捧げていました。

そして現在もいくつかの集団に所属し(サークル、授業のプロジェクトチーム、NPOの学生支部など)、部活とは全く規模は異なるものの、何らかの集まりに参加し続けております。

 

それらで活動していく中でいつも考えてしまうことなのですが

 

「これって私がやらなきゃいけないのかな。」

 

昔から一番多いのが、気づいた事を言うこと。「ここは直した方がいいんじゃないか」とか「もっとこうしたほうがいいんじゃないか」「これ忘れてる。お知らせしなきゃ」などなど。自分が気づき、思ったことを伝える。その方が全体がよりよく機能するのではと考えていること、そして気づいたら言わないと気が済まない(言わなかったら見過ごしているように感じるから)ことから、伝えるようにはしています。

そして、最後には「私がやっておくね」の一言。(これは最近減りましたが)

 

特に、復学してからはグループ内でリマインドを行う機会も増えております。

 

 

でも、これらって別に私がやる必要あるのかな。

なんで周りの人は気づかなかったんだろう。

後になって、なんで気付いてたことをそのときに言わなかったんだろう。

どうして私がやるって言ってしまったのだろう。

 

 

そんなことを思う様になりました。

 

 

「どうして私がやるって言ってしまったのだろう」という話に関しては、大学生になってからやらないようになりましたが。

 

というのも、これまでの人生でなんでもかんでも「私がやる!」と言いすぎた結果、自分ばかりに裁かなければいけない物事が積み重なり、周りは多く機能せず(私がさせてなかったのだと思う)、「結局自分でやった方が早い」という図式が頭の中に出来上がってしまっていたからです。

 

その結果「何でも自分でやらなければ」と思い込み、全てのことを抱え込むようになってしまいました。人に任せるのが怖い。自分でやった方が楽。自分の方がちゃんとできる、なんて過信もしていました。

 

加えて周囲も「ごっちゃんならやってくれるだろう」のような期待(かどうかは分かりませんが)、とりあえず任せておこう、別に私がやる必要はないのだから、と思わせるようにしていってしまっていたのです。

 

でも、結局は自分ばかりがやることが多いように感じ、ただそれらをこなしていくだけ。周囲はそこまでの荷物を背負っていない。こんなに自分は一生懸命頑張っているのに、手を差し伸べてもらえなければ、声さえそんなにかからない。

 

 

 

そんなことばかり繰り返していた私ですが、昨年のインターンシップの活動の中で、「全て自己完結させる必要はない」ということに気付きました。

 

 組織で取り組んでいることなのだから、自分ひとりの責任ではない。

担当があれこれ…となるとまたちょっと話は変わってきますが、

もっと人に頼っていい、そんな言葉をかけていただいて。

 

今まで背負いすぎていた自分をようやくやめることができたように思います。

 

 

ちょっとだらだら書きすぎまして、論点もいまいちずれてきたような気がしますので一度ここで手を止めます。

追加で書くと思います。とりあえずこのへんでごきげんよう。